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ソロ開発者のための「モデル取引・契約書」集
(6/14/2019)

はじめに

高専時代のバイトを含めて考えると、私がソフトウェアの分野でお仕事をするようになってから、もうすぐ10年と半年になります。

子どもの頃から「無から生じたモノ(無形物ですが)が現実の価値を生み出す」というところが大好きでした。最初にそれを感じたのはゲーム開発でしたが、今でも、事業構築という文脈の中で求めているのは同じような感動です。

その頃からすると、やっていることは少し変わりました。システム開発会社の社長として、また別の場合には、非IT系の会社で情報システム分野を管掌する役員として、あるいは複数の会社や事業家が関わる新規事業のコーディネーターとして、様々な形態で活動する中で、やはり楽しみにしているのは、「本来は頭の中のアイデアに過ぎなかったソフトウェアやアルゴリズムが、現実に市場に受け入れられ、誰かが喜ぶ」瞬間です。

それらのどの瞬間のためにも、「ソロ開発者」[1]として活動した経験が、大切な役割を果たしていると思います。

ソロ開発者と「モデル取引・契約書」

ソロ開発者としての活動は色々な面でハードです。まず、クライアントを獲得することで苦労します。そして次に突き当たるのが「どんな契約書を準備するべきか?」という壁です。

「具体的にどんな契約をすべきか」などの論点は、書籍・インターネットを通じて様々な情報が発表されており、個別の業務内容によっても異なるので、この記事では扱いません。

この記事で紹介するのは、いくつかの機関から公表されている 「モデル取引・契約書」 のことです。

「モデル取引・契約書」とは、情報システムに関する取引を円滑にすることを目的に、いくつかの業界団体や行政機関が作成し、公開しているものです。

単に契約の雛形として使っても便利ですが、私が特に良いと思うのは、それぞれに添えられている「解説」や「概要」などの文書です。活動し始めたばかりのソロ開発者にとっては、単なる便利ツールとしてだけではなく、業界の慣行を知り、ひいては自らの仕事のやり方を見直す機会としても、重宝することと思います。

8つのモデル取引・契約書

私が知る限り、4つの機関が、合計8つのモデル取引・契約書を公開しています(ほかにご存知の方、ぜひお知らせください)。公表された時系列順に並べると、次のようになります(お急ぎの方は、配布ページへのリンクと特色のまとめのある表が末尾にあります):

発表者 通称 正式名称
1994年 日本電子工業振興協会 [1994, JEIDA] ソフトウェア開発モデル契約
2006年 経済産業省 METI 第一版 モデル取引・契約書<第一版>
2007年 経済産業省 METI 追補版 モデル取引・契約書<追補版>
2008年 情報サービス産業協会 [2008, JISA] JISA ソフトウェア開発委託基本モデル契約書
2008年 電子情報技術産業協会 [2008, JEITA] 2008年版ソフトウェア開発モデル契約
2010年 情報処理推進機構 [2010, IPA/SEC] 非ウォーターフォール型開発に適したモデル契約書
2019年 情報サービス産業協会 [2019, JISA] JISAソフトウェア開発委託基本モデル契約書
2019年 電子情報技術産業協会 [2019, JEITA] 2020年版ソフトウェア開発モデル契約

たくさんあるように感じますが、実はこのうちの [1994, JEIDA] と [2010, IPA/SEC] 以外は、すべて同じ系列です。

METI 第一版・追補版

METI 第一版は、大企業同士が、伝統的なウォーターフォール型開発で、社会に対しインフラレベルの影響を持つ情報システムを開発する場合を想定して作成されています。

METI 追補版では、ユーザ企業が中小企業であるなど、情報システムを専門とする人員がユーザ社内に存在しない場合で、パッケージソフトウェアのカスタマイズによって目的とするシステムの実現を試みるケースに想定が移っています。

さらに、METI 追補版は「重要事項説明書」という文書を導入している点に特色があります。

重要事項説明書といえば、ソロ開発者にとっては、住居を借りる場面で見かける同名の文書が馴染み深いでしょう。「契約書の読み合わせ」というと大変そうで気が進まないという声があるなかで、合意しようとする業務の内容を何とかしっかり読んでもらおうという工夫だということです。

宅建法上の重要事項説明書は、あくまで別途作成される契約関係文書のダイジェストです。一方、 METI 追補版の重要事項説明書は、実際のところそれ自体契約書の一部を構成するのですが、名前が「重要事項説明書」だというだけで読める(読もうとする)人が増えそうだということは、なんとなく納得できます。

[2008, JISA] と [2008, JEITA](と、[1994, JEIDA])

[2008, JISA][2008, JEITA] は、かなり似通った内容です[2]。中小企業が使いやすいように、 METI 第一版の選択条項を選んだり、一部の規定を追加変更したり、といった調整がされています。比較表が公開されているので、自分の業態に合ったほうを参考にすると良いでしょう。

比較表には [1994, JEIDA] の内容も併記されています。 [1994, JEIDA] は、それ自体はインターネット上では見つからなかったので参考になります。といっても、 JEIDA は別の機関と合併することで JEITA となっているようなので、 [1994, JEIDA] は既にその役割を終えていると考えて問題ないと思います。

非ウォーターフォール型開発プロセス対応の [2010, IPA/SEC]

この中で異彩を放つのが [2010, IPA/SEC] です。 METI 第一版ベースとなっている他のモデル契約と異なり、そのタイトル通り、ウォーターフォール「でない」開発プロセスに適した契約形態が提案されています。

モデル自体の抽象度が高く、様々な規模・事例に適合できる点が便利そうですが、「企画・計画」の段階はモデルの範囲外となっている点が気になります。

現在では、ソフトウェアへの投資を、それが事業そのものや日常業務に与える影響と切り離して考えることは難しく、開発の現場で「なぜこのような機能が必要なのか(=どんな投資効果を期待しているのか)」が問われる場面は増えています。それだけでなく、ソフトウェア取引を巡るトラブルの原因の多くは企画・計画段階にあるというのが、 METI 第一版の趣旨でした。それだけに、先進的な開発プロセスを扱う初のモデル取引・契約となる [2010, IPA/SEC] が「企画・計画段階」をスコープ外としたことは不思議であり、残念にも思います。

ただ、それにしても、ウォーターフォール「でない」開発プロセスを扱うモデル取引・契約は、これしか存在しません。その意味で、とても重要な成果だと思います。

ところで、 [2010, IPA/SEC] には「組合形式」のモデルが試案として含まれていることも興味深いです。ソロ開発者をしていると、レベニューシェアでの開発を持ちかけられることがあります。「組合形式」は、こうしたときに活用できるスキームとなっています。このような場面でどのような対応をすべきか、参考になるのではないかと思います。

「組合形式」はあくまで試案のため、実際に採用する場合は十分注意する必要があるということです。私としては、会社として何かおもしろいことをするときにも便利そうなスキームなので、今後の発表に期待しています。

改正民法対応を見据えた [2019, JISA] ・ [2019, JEITA]

[2019, JISA][2019, JEITA] は、それぞれの旧版をベースに、 METI 第一版・追補版の発表から10年の間の法改正や裁判例の蓄積を整理して、改訂の方針を定めたものだといいます。

来年の4月には改正民法が施行されます。その中には、ソフトウェア取引にも大きな影響を与える変更もあります。これらに対応するためのモデルだということです。

実は私も、このモデルを知ったのは、今回の記事を書くための調査がきっかけです。そのため、まだざっくりしか読めていませんが、確かに改正民法にいう「契約不適合責任」に関する規定などがあり、実用性は高そうです。

まとめ

というわけで、改めて各モデル取引・契約書の特色と合わせて表にまとめました。

発表者 通称 正式名称 備考
1994年 日本電子工業振興協会 [1994, JEIDA] 「ソフトウェア開発モデル契約」 古くなっている
2006年 経済産業省 METI 第一版 モデル取引・契約書<第一版> 情報システムに詳しいユーザ企業を想定
比較的大規模な案件
2007年 経済産業省 METI 追補版 モデル取引・契約書<追補版> 情報システムに詳しくないユーザ企業を想定
パッケージのカスタマイズや SaaS の利用を想定した比較的小規模な案件(=スクラッチ開発は想定範囲外)
「重要事項説明書」がある
2008年 情報サービス産業協会 [2008, JISA] [3] METI 第一版ベース。[2008, JEITA] との比較表
2008年 電子情報技術産業協会 [2008, JEITA] 2008年版ソフトウェア開発モデル契約 METI 第一版ベース。[2008, JISA] との比較表
2010年 情報処理推進機構 [2010, IPA/SEC] 非ウォーターフォール型開発に適したモデル契約書 唯一アジャイルに対応
「企画・計画段階」は対象範囲外
「組合形式」の試案がある
2019年 情報サービス産業協会 [2019, JISA] JISAソフトウェア開発委託基本モデル契約書2020 改正民法対応
2019年 電子情報技術産業協会 [2019, JEITA] 2020年版ソフトウェア開発モデル契約 改正民法対応

もし、他にもご存知の方がいらっしゃれば、お知らせください。

おわりに

ソロ開発者でも、色々な考え方のある世の中で取引をする以上、契約内容を巡るトラブルに遭遇することも、ときどきあります。多くのソロ開発者は、契約に守られた経験もあれば、規定が甘かったことで苦渋を味わった経験もあることと思います。

こうしたトラブルを未然に防ぎ、仮に生じればしっかり応じなければならないことは、個人であるソロ開発者にはとても負担の大きいことだと言えます。「ソフトウェアを構築できる」という才能を活かすまでに、あまりにも多くの障害が待ち受けています。

私たちは、ソフトウェア開発者と会社とは、いわゆる芸能の分野でいう「タレント」と「事務所」のような関係が理想だと思っています。その才能を発揮するために必要な業務を事務所が引き受け、トラブルの防波堤となることによって、タレントであるところの開発者が社会に新たな価値を産み落とす、というサイクルを生み出せれば良いと考えています。

そのためにも、ソフトウェア取引を取り巻く業界慣習や法制度の動向を、引き続き追いかけていきたいと思います。

まずは JISA, JESTA の 2020年版ですね。また何かまとめたら、記事にしてみようと思います。


  1. 「ソロ開発者」という言葉には馴染みがないかもしれませんが、フリーランサーとも個人事業主とも、創業者などとも違うニュアンスを何となく感じてください。 ↩︎

  2. 後述の通り、 JISA と JEITA は2020年版も同時期に発表しているようなので、ある程度歩調を合わせているのではないかなあと思います。 ↩︎

  3. 探したのですが、見つかりませんでした。このページに掲載されていそうなものですが、2020年版の発表と同時に削除されたのでしょうか。 ↩︎