「コンテキスト」という言葉があります。
わりと難しい部類の言葉だけど、限られた人しか知らないわけじゃない。聞いたことはあるけど、説明しろと言われると困ってしまう。そんな感じの方が多いのではないでしょうか。
「コンテキスト」は、確かに多義的で深い意味を持つ言葉です。
でも、使いこなせば役に立つ。
この記事では、「コンテキスト」をしっかり理解して、コミュニケーションの円滑化に役立てるための方法を説明してみようと思います。
「コンテキスト」のコントロールを身につけると、今まで「話が通じない!!」と思って苛立っていた相手との間に、建設的な対話の土台を構築しやすくなります。
「コンテキスト」との出会い
私が「コンテキスト」とはじめて出会ったのは中学生の頃で、 Windows で動作するゲームを作るにはどうすればいいか、躍起になって調べていたときのことでした。
プログラムが画面に何かを表示する方法にはいくつもの方法があります。あるとき幼い私が見つけたのは、Windows の GDI という仕組みでした。
GDI の詳細にはこの記事では立ち入りませんが、当時の私はとても苦戦したことを覚えています。
その中で何度も登場して、「一体何者なんだ」と私を悩ませたのが、 「デバイスコンテキスト」 の存在でした。
GDI を通じて、 Windows に対して何かを画面に表示するよう指示するときには、いつも「デバイスコンテキスト」を設定する必要がありました。
「デバイス」が機械や装置のことを指すことはなんとなく知っていました。
では、「コンテキスト」とはなんでしょうか? それを設定するとは?
当時の私にはまったく見当もつきませんでした。
しかし、幸か不幸か、まったく見当がつかなくても、設定しさえすれば画面に目的のものが表示されます。「コンテキスト」のことはあとで調べることにして、当時の私はゲームの制作をはじめました。
それが私と「コンテキスト」との出会いでした。
「コンテキスト」を使ってみる
中学生の頃の私が出会った「コンテキスト」とは何だったのでしょうか。
ゲームは、プログラムの一種です。
プログラムは一般に、人間からの指示を受け取り、何らかの仕事をして、その結果を返します。
ゲームでは、コントローラでボタンを押したりすることが指示で、表示されている画面が結果にあたります。
この仕組みは、ゲームよりもっと単純なプログラムでも変わりません。たとえば、
def 円筒の体積(高さ: 1, 底面の半径: 1)
Math::PI * 底面の半径 ** 2 * 高さ
end
こんな風に書いておけば、円筒の体積($\pi r^2h$; 円周率×半径2×高さ)を簡単に計算できます:
puts 円筒の体積(高さ: 10, 底面の半径: 3)
ここは、「高さ」と「底面の半径」が指示、計算されて表示された「体積」が結果にあたります。
プログラムの良いところは、こうして一度準備しておけば、入力を変えるだけで色々なパターンの結果を求められることです。たとえば、
def 円筒の体積(高さ: 1, 底面の半径: 1)
Math::PI * 底面の半径 ** 2 * 高さ
end
puts 円筒の体積(高さ: 10, 底面の半径: 3)
puts 円筒の体積(高さ: 1.5, 底面の半径: 1)
puts 円筒の体積(高さ: 0.005, 底面の半径: 300)
puts 円筒の体積(高さ: 2, 底面の半径: 2.5)
このように書けば、どれも一瞬で計算してくれます(日本語で書いてあるので意外に思うかもしれませんが、これは実際に動作する Ruby のプログラムです。ぜひインターネット上で Ruby を実行できるサイト で試してみてください。コピペして「Run」ボタンを押すだけです)。
「コンテキスト」を活用する
本題です。「コンテキスト」を活用できる場面を考えてみましょう。
円筒の体積をたくさん計算したいのは、どんなときでしょうか?
たとえば、あなたは古代ギリシアの高名な神官で、パルテノン神殿を建設することになったとしましょう[1]。
パルテノン神殿は、こんな神殿ですね。
(Parthenon, Athens Greece. Photo taken in 1978 - Steve Swayne)
整然と並んだいくつもの柱が印象的ですが、実はその内部にも、同様の柱が並んでいます。
さて、神殿を建設するためには、材料を調達しなければいけません。
柱をつくるには、その体積分だけの材料が必要だとします。図を見ると、柱の太さは4種類ありそうですね。ここではそれぞれ雑に、太さ(= 底面の半径)を1, 2, 3, 4としましょう。
柱の体積を計算するには、さっきのプログラムに「太さ」と「高さ」を指示すればいいのでした。
神殿の天井の高さがどの場所でも同じなら、どの柱の「高さ」も同じでよいはずです。ここでは、高さを仮に50としてみましょう[2]。
すべての種類の柱の体積を計算するには、次のようにプログラムを書くことになります。
puts 円筒の体積(高さ: 50, 底面の半径: 1)
puts 円筒の体積(高さ: 50, 底面の半径: 2)
puts 円筒の体積(高さ: 50, 底面の半径: 3)
puts 円筒の体積(高さ: 50, 底面の半径: 4)
これで、必要な材料の量が簡単に計算できます。
しかしよく見ると、 高さ: 50
の部分まではどの行も同じですね。どの柱も同じ高さなら、毎回高さを「指示」するのは面倒な気がします。
そこで、次のようにプログラムを書き換えてみましょう:
def 神殿の柱の体積(太さ: 1)
Math::PI * 太さ ** 2 * 50
end
こう準備しておくと、柱の体積の求めるプログラムはこんなに簡単で済みます:
puts 神殿の柱の体積(太さ: 1)
puts 神殿の柱の体積(太さ: 2)
puts 神殿の柱の体積(太さ: 3)
puts 神殿の柱の体積(太さ: 4)
「コンテキスト」は「共通認識」
つまり、ことパルテノン神殿の建設に関していえば、「柱」といえば「高さは50」なのです。
この柱といえば高さは50という「共通認識」こそ、「コンテキスト」と呼ばれるものの正体です。
こうした「共通認識」は、文章によって形成されれば「文脈」だし、出来事によって形成されれば「状況」と呼ばれます[3]。
隠された「コンテキスト」
ちなみに、円柱の体積 $\pi r^2h$ には、ほかにも「コンテキスト」が隠れています。
それが円周率($\pi$)です。
私たちの生きるこの世界では、円周率といえば $\pi = 3.14159...$ です。
そのおかげで私たちは、「円周率」とだけいえば、毎回具体的な数値を伝えなくても良いわけです。これも、私たちの生きるこの世界全体に共通して存在する「コンテキスト」の一種です。
コミュニケーションの中の「コンテキスト」
少し遠回りが長くなりました。
柱といえば高さは50といったような「共通認識」つまり「コンテキスト」は、プログラムだけでなく、普段のコミュニケーションで役立ちます。
私たち人間は普段から、「コンテキスト」を上手に活用しています。
「あれ取って」とか「それはどうかと思うな」といったような指示語も、(非常に短いアテンションスパンに限られてはいるものの)立派な「コンテキスト」の応用例です。
「コンテキスト」を使ってはいけないことになったとしたら、今日の文明は維持できないようにさえ思えます。
「活用」よりも「濫用」に注意
コミュニケーションの中の「コンテキスト」について注意したいのは、「どう活用するか」よりも「いかに濫用を防ぐか」と言えます。
「あれ」とか「それ」とかいう指示語を使いすぎてうまく意図が伝わらない経験は、誰しもあるものだと思います。
私たち人間は、あまり意識しなくても「コンテキスト」を活用するようにできています。
むしろ、現実には存在しない「コンテキスト」を存在すると信じ込み、それを前提にコミュニケーションを取ってしまうことさえ、ありふれています。
いわば「コンテキストの濫用」ですね。
「コンテキスト」を有効に使いこなしたコミュニケーションを取ろうと思うなら、「活用」よりも「濫用」を防ぐことを意識したほうが良いくらいです。
それでは、「現実には存在しないコンテキスト」の例には、どんなものがあるのでしょうか?
コンテキストの寿命
「コンテキスト」には、それが維持される長さというものがあります。
たとえば、「あれ」とか「それ」のような指示語は、別の話題を挟んでしまったり、会話から数日が経過したあとでは、正しく伝わる見込みがありません。
一方で、「円周率」はそうした影響をあまり受けません。いつどんなときに「円周率」といっても、例の特定の値を指し示すことができます。
指示語と円周率の間にある様々な種類の「コンテキスト」は、それぞれの長さの寿命を持っています。
自分が今使おうとしている「コンテキスト」が、まだ生きているか意識してみると良いでしょう。
コンテキストは人によって違う
寿命の長い「コンテキスト」(以下、「長期的コンテキスト」と呼ぶことにします)には注意が必要です。
というのは、ある人がどんな長期的コンテキストを持っているかは、ほとんど「その人がどんな人生を送ってきたか」と同義だからです。
例えばこの文章は、少なくとも「円周率の概念をなんとなく把握している人」が読むことを前提に書いています。
これは日本のほとんどの人に当てはまると考えることができます。ある種の長期的コンテキストを前提とした文章と言えるでしょう。
しかし、より高度で難解な概念になれば、それが通じる人数は自ずと限られてきます(たとえば「位相空間」と聞いて、私の意図した概念を正しく想起できる人はどれくらいいるでしょうか[4])。
また、特定の文化圏でしか通用しない用語もたくさんあります。あなたがそれらの用語の成立過程に関わったならともかく、その文化圏に入ってから知った言葉なら、他の分野でも通用する言葉と区別がつかないときもあります。
悩ましいのは、長期的コンテキストはその性質上、「ほかの人も知っているだろう」と思ってしまいがちなことです。
もちろん、そのように思えることが「コンテキスト」の良いところです。
しかし、人間には過度にそう信じてしまいがちな性質があります。むしろ一度、「このコンテキストは今の会話相手とは共有していないのではないか?」と疑ってみるくらいのほうが、コミュニケーションは安定するかもしれません。
事前に共有されている「コンテキスト」もある
例えば、大人になって都会に出てから、同じ地元の出身者と偶然で出会うと、話が弾みますよね(もしあなたが私と同じくらい田舎の出身なら弾むはずです ;)。
同じ地域の出身の相手と自分は、多くの「コンテキスト」を共有しています。
地域の有名な待ち合わせ場所、市で唯一だった映画館、かつて母校があった場所にできたホームセンター……わざわざ説明しなくても、その場所やお店の名前を出せば、相手は自分と同じイメージを思い浮かべるはずです。
そうした記憶、味気ない言い方でいえば「共通知識」も、相手とあなたの間の「コンテキスト」として作用します。
こうした「コンテキスト」をたくさん共有している相手とは、そうでない人と比べて効率よく話すことができるはずです。
たとえば出身校が同じだったり、同じアニメの視聴者だったりする相手です。日本で生まれ育った相手なら、6年制の小学校に行き、3年制の中学校に通ったことと、3年制の高校に通ったことは想定しても良いでしょう。
もちろん例外もあります(5年制の高専に通った私も例外のひとりです)が、例外を例外と呼べるのは、まさにあなたが原則としてこの想定を受け入れていることの現れです。
もっと根本的には、日本人であることもそのひとつです。あるいは、同じ人間であることもそうですね。といっても、人間以外とはコミュニケーションすることがないので、意識することはありませんが。
「コンテキスト」を一致させる
共有していない「コンテキスト」は、意図的に一致させることもできます。
しかもそれは方法も簡単です。単に「明示的に言う」というだけのことです。
たとえば「あれ」ではなく「〇〇」と具体的な名前を出したり、「それ」ではなく「棚の下の青いその本」というように詳細な情報を提示するだけで済みます。
こうするだけで、「〇〇」を「■■」だと思ってしまったり、「青い本」でなく「赤い本」と思ってしまう余地をなくすことができます。
実践するのは難しい
「コンテキスト」を一致させれば、正確で効率的なコミュニケーションが実現できます。
しかし言葉でいうのは驚くほど簡単ですが、実践するのはまったく別です。
そもそも、「コンテキスト」を完全に一致させることは、厳密な意味では不可能です。
あなたの生い立ち、個々の出来事に付随した細々とした情報の数々、言葉にしなかったけど考えたこと……これらのどれもが、「コンテキスト」になり得ます。厳密な意味で「コンテキスト」の完全一致を試みるなら、これらの膨大で曖昧な情報をすべて伝える必要があります。
しかし、時間はそんなにはないことが普通です。
現実的には、必要最低限の「コンテキスト」を共有する、ということになることがほとんどです。
それでは、どんなことを省略するのが良いでしょうか。
共有する必要がない些末なことを省くほか、「コンテキスト」の中には「事前に共有されているもの」もあるので、こうしたものも共有せずに済ませることができます。
おわりに; 文化のコンテキスト依存度
「文化のコンテキスト依存度」という表現があります。
たとえば日本は、ほかの国に比べると「コンテキスト依存度が高い文化だ」と言われています。
つまり、日本の文化圏に浴する人、ざっくりいうと日本人は、会話の相手と「コンテキストを共有している」という無意識の前提を強く持つ傾向がある、ということです。
これは、日本では日本人以外の人と関わる機会が少なく、会話の相手が自分と根本的に「コンテキスト」を共有していないという想定があまりないからだといわれています。
逆に、根本的に「コンテキスト」を共有していない、あるいは相容れない「コンテキスト」を持つ相手と頻繁に関わることになる文化も存在します。そのような文化では、コンテキスト依存度が低いとされます(具体的にどんな国や地域がそれにあたるかは、ぜひ調べてみてください)。
しかし、これは文化全体の一般論であって、その文化圏のひとりひとりが絶対にそうだ、ということではありません。
これを読んでこのことを知ったあなたは、コミュニケーションがうまくいかないとき、相手との「共有コンテキスト」に依存しすぎていないか疑うことができます。
「コンテキスト」は「共通認識」です。双方の協力がなければ成立しません。しかし、どちら一方の働きかけだけでも、共有に向けたプロセスは始まります。
ぜひあなたの側から、「コンテキスト」の一致を確認する取り組みをはじめてみてください。
実際は神官ではなくペリクレスという政治家が建設を発案したそうです。 ↩︎
この図からは明らかではないですが、実際にはたぶん少しずつ違ったのだと思います。そこは例え話ということでご容赦ください。 ↩︎
あまり辞書に「共通認識」と書かれないのは、「コンテキスト」の影響を受けるのが無生物でもありえるからだと考えています。例えば柱の太さも、建築士とオーナーの間でいえば「共通認識」で良いですが、柱そのものも、「そうしたコンテキストの中にある (in the context)」ことがあるので、簡単に「共通認識」とは訳せない側面があると思います。 ↩︎
ごめんなさい、これはほとんど罠です。「位相空間」は、数学の分野と物理学の分野に、(日本語では)同じ名前の概念がそれぞれ存在します。この文脈ではどちらを想起すれば正解かは明確ではありません。 ↩︎