こんにちは、社長のしおりもです。

早いもので2017年も11月に差し掛かり、朝にはかすかな冬の匂いを感じるようになりました。

3年後、東京オリンピックの開催される2020年には、筆者はちょうど30歳を迎えることになっています。

何に喜びや幸せを見いだして、どんなことに悲しみや無力を感じるか、10代だった頃とは随分変わったものだと感じます。

そういう意味では、年齢としては、ぼちぼちいい大人になりました。

それでも、世の中にはまだまだ「わからない」と感じることがたくさんあります。

というよりも、「そういうものだ」と思うことが減った分、「わからない」と思うことは増えたかもしれません。

そんな「わからない」という気持ちが、今回の記事のテーマです。

「わからない」は智慧の原石

「わからない」と思うときは、どんなに人にでも訪れるものです。

どんなに博学でも、無限の知識を持つことはできないし、あなたが誰かの心を読むことができないように、他人もあなたの心を読むことはできなません。だから、コミュニケーションの中で何か「わからない」と思ったとしても、落ち込むようなことはありません。

とはいえ、私たちはふつう、あまりにも多くの「わからない」をありのままで抱えるほどには、心に余裕を持ってはいないのも事実です。

知らないことや、理解できない言動に出会うたび、外面的には平静を装いながらも、心の中では小さな重荷が増えていることに気づくはず。

「わからない」は、知識の原石のようなものです。何かの弾みに「わからない」がバッグに飛び込んできたとき、その磨き方を知ってさえいえれば、「わからない」はすぐにあなたの財産になります。

そして「磨き方を知っている」ことを知っていれば、次に「わからない」に出会ったときには、ため息よりも喜びのほうが、心から湧き上がってくることでしょう。

この記事について

この記事では、「わからない」の中でも特に、コミュニケーションの中で遭遇する「わからない」を、いくつかの種類に分けて、種類ごとの対処法を紹介します。

種類といわれても、「わからない」ものの区別をつけるのもなかなか難しいことです。そこでこの記事では、簡単なものから順に説明して、今自分が抱えている「わからない」がどれに該当するのか、チェックリスト的に検証できるようにしました。

何かコミュニケーションの中で困ったことがあったら、ぜひ参考にしてみてください。

単語や慣用句を知らないからわからない

会話や読書の中で、知らない単語と出会うことがあります。

それも当然のことです。

一般に4万語程度の語彙があれば母語としての会話ができるとされています。

ところが、現実にはずっと多くの語彙が存在しています。日本国語大辞典には45万語Oxford English Dictionary には 5900万語が収録されています。実際には紙面の制約で辞書に掲載されない単語のほうが多いはずです。

あなたと誰かが会話したとき、仮にお互いに日本語をちょうど4万語知っていたとしても、同じ4万語を知っているわけでもないでしょう。単語が「わからない」は自然なことで、純粋に確率の問題で起きたり起きなかったりするだけのことなのです。

単語の「わからない」の対処法はとても簡単で、基本的には単にググるだけです。大抵のことはそれで解決します。

調べた結果の意味では、しっくりこない場合もあります。そういうときはどうすれば良いでしょう?

会話の場合なら、その言葉を使った人に訊いてみるのが確実ですね。造語かもしれないし、その人が間違って使っていることもあります。

それでもわからなければ、あなたが「わからない」のは単語ではないのかもしれません。その場合は、次のセクションに進んでみてください。

背景となる事実を知らないからわからない

たとえば読者のみなさんには、「ベランダのトゲを取り換えておいて」という言葉の意味がわかりますか?

この言葉には、こういう背景があります。筆者の自宅のバルコニーは、長らく鳥害に悩まされています。試行錯誤の結果、鳩避けのトゲを設置しているのですが、これが劣化するため、定期的に取り換える必要があります。

先程の言葉は、その作業をお願いしている場面の言葉です。

もしあなたが鳥害に悩まされたことがなければ、「ベランダ」か「トゲ」のどちらかが造語だと思ったのではないでしょうか(鳥害に悩まされたことがあるなら、お気の毒というほかありません)。

このように、単語の意味や文法がしっかりわかるのに、背景となる事実を知らないから、「わからない」が現れることがあります。

もしそうなら、この「わからない」を解消するには、背景となる事実を知る必要がありますね。

しかしながら、これは意外に大変です。

というのも、おそらく相手としては、あなたがその「背景となる事実」を知っていると思い込んでいるはずです。でなければ、「背景となる事実」を省略することがないはずです。そしてあなたはあなたで、それが何なのかわからないのだから、「〇〇について教えてほしい」という形式の質問ができないのです。

残念ながらこのような場合には、素直に「何か背景となる事実を知らないような気がするのだが、心当たりはないか」と訊いてみるほかありません。もし相手があなたの立場に立って想像することができれば、思い当たることが多いでしょう。その可能性に賭けるしかなさそうです。

概念がわからない

最初のセクションで、単語の「わからない」は簡単だ、と書きました。

しかし、これには実は厄介な例外があります。単語の意味そのものの理解に一定の努力を要する単語というものがあるからです。

ほとんどの名詞は、イメージとして想像できる姿があります。

たとえば「ユニコーン」は現実に存在しないませんが(もし居場所を知っていたら筆者にこっそり教えてください)、筆者もあなたも、具体的な姿こそ違えど、だいたい似たようなものを想像することができるはずです。それは現実の哺乳類である「ウマ」とほとんど同じで、一本の鋭いツノを持っているわりに、ポップな色のたてがみとヒヅメを備えていた生き物です。

ここが人類の言語の優れたところです。目の前に存在する動物に名前をつけたり、明日現れるかもしれない猛獣の話をすることを超えて、現実には存在しないものでさえ、自在に表現できてしまう。脅威の能力というほかありません。

しかし、現実には存在しないものを指し示すことさえある「意味」とは、結局のところなんなのでしょうか?

それは、ユニコーンの一本のツノやカラフルな体組織といった、話者間で共通して想起される「概念」そのものです。

「ユニコーン」のように、現実に存在する生物が基盤となっていれば、まだ理解しやすいものです。ところが私たちは、日常生活のなかでさえ、「ユニコーン」よりもずっと現実離れした「概念」を引き合いに出すことがあります。

例えば、スマートフォンを使う人なら誰でも、「テザリング」という概念を理解することができるでしょう。「テザリング」という概念を使って会話するときに、その技術的な詳細を知っている必要はありません。しかし、技術的詳細を省いた概念でさえ、30年前の平均的な人物(あなたのご両親を想像してみてください)に説明することは、かなり困難な仕事になるはずです。

この種の「単語の意味としての概念がわからない」という場合は、だいたいが「専門知識」で、その中に「精緻な定義を持つもの」と「そうでないもの」があります。

どちらの場合でも、先人に教えを請うのが効果的です。その先人の教示者としての考え方や能力にもよりますが、うまくすれば「あなたの今の知識で理解できる範囲の、最も真の意味に近い考え方」を教えてもらえます。

筆者の個人的な見解としては、世間一般のイメージに反して、難しいと思われがちないわゆる学問的概念のほうが、漠然とした概念よりも、まだ理解がしやすいと思います。前者は、科学だからこそ、前提知識を持っていれば誰でも理解できることが保証されています。それに対して後者は、わかる人にはわかっても、わからない人には決してわからないものです。

意図がわからない

言葉の意味はわかるのに、なぜ今この状況でそれを言うのかがわからない、というときがあります。

最初に疑うべきは「背景となる事実を知らない」ですが、その見込みもあまりなさそうなら、次の容疑者は「意味」ではなく「意図」になるでしょう。

言葉の意味は「文字通りの意味」と「そうでない意味」に分けられます。「そうでない意味」は、さらに「皮肉」「反語」「比喩」に分類されるとされています。

話者の言葉が「文字通りの意味」とは思えないときには、「そうでない意味」かもしれません。

それが「比喩」なら、単に話者がスベった(意図どおりの想起を得られなかった)だけです。そうでなければ「皮肉」「反語」かもしれません。

しかし、筆者としては「皮肉」「反語」の可能性、つまり相手の悪意をことさらに想像すべきではないと思います。冒頭で述べたとおり、誰にも他人の心は読めません。相手に悪意のないときに悪意の存在を仮定することは残念なことです。悪意があったとして、それに反応するのは時間の無駄というものです。

言葉の意味はわかるが、なぜそれを今いうのかが「わからない」と思ったら、基本的に相手がスベったと考え、深くは触れないようにするのが良いのではないでしょうか。

真意がわからない

真意が「わからない」というのは、とても高度な疑問です。

例えばこういう状況を想像してみてください。

「相手の発言の文字どおりの意味も、どういう意図でそれを言っているのかもわかるが、相手と自分の関係性や二人を取り巻く環境を考えれば、そのように発言する合理性がない」。つまり、合理的に考えれば相手には何らかの「真意」があるはずなのですが、それが「わからない」という場合です。

一般論からいえば、この疑問に答えはありません。あなたは相手の心を読めないし、相手は真意を隠そうとしている。こうなれば、もうあなたに為すすべはほとんどありません。残された「ほとんど」は、相手の不徹底によって真意が暴かれる可能性くらいのものです。

幸か不幸か、このような状況は日常生活ではほとんど起こらないものです。

なぜ幸いかといえば、相手が真意を隠そうとするのは、それなりの利害の不一致があるからだし、深刻な利害の不一致はそんなに頻繁には生じないからです。

では何が不幸なのか? それは、そのような利害な不一致が生じていても、相手が発言の合理性までカモフラージュして振舞っていれば、「真意」が隠されていても、「わからない」が生じないことです。

つまり、真意が「わからない」という状況は、深刻な利害の不一致が発生していて、しかも相手がそこまで狡猾ではない、という場合にしか生じません。

こうした「わからない」は、見つけてしまえばあとは交渉するしかないので、万能の対処法はありません。まずは見つけることです。それには、相手の発言や態度のわずかな不合理・不整合を見逃さない注意深さが求められます。

わからない要素が見つからないが、わからない感じがする

「わからない」のは確かなのだが、何が「わからない」のかが「わからない」というときもありますね。

これは難しい状況です。一度、これまでに紹介した「わからない」に該当する点がないか改めて確認してみることには、一定の価値があるでしょう。

しかし、それでも何が「わからない」か「わからない」場合には、次の2つの可能性を検討することができます。

この記事にはない種類の「わからない」がある

当たり前のことですが、この短い記事には、世界のすべての「わからない」が書かれているわけではありません。

あなたがそれに直面しているなら、ぜひ筆者に教えてください。その経験をこの記事に追加することで、次にこれを読んだ人があなたと同じように悩むことを防げるかもしれません。

実は「わからない」ことはない

つまり、あなたは「わかって」いる、という場合です。

もしそうなら、解決するべきなのは「わからない」という感覚のほうです。本当は理解していることについて「わからない」感覚がするというのは、人間の心にはそれなりの負担になります。できることなら取り去りたいものです。

大枠ではわかっていても、細かな理解に間違いがあって、違和感を覚えているのかもしれません。もしそうなら、改めて学習することで、「わからない」を解消できるでしょう。

まとめ: 「わからない」を受け入れる

実は、何の迷いもなく「わからない」といえるのは、人類の歴史からみれば、とても珍しいことです。

地球上に人類が誕生してからかなり長い間、というよりはつい最近まで、人類には「わからない」ことは存在しませんでした。もちろん筆者や多くの読者のように平凡な階級の人間なら、当時でも「わからない」と思うことはあったでしょう。

しかし、それは現代の「わからない」とは種類がまったく違いました。彼らの「わからない」は、権力者や聖職者に教えを請えば、いつでも「正しい」回答が返ってくるという前提のものでした(もちろん不遜だといって処刑されることもあったでしょうが)。

これはなにも、遠い歴史の中だけの話ではありません。たぶんあなたも、小さな子どもの頃は、親や学校の先生に訊けば、いつでも「正しい」回答が返ってくると信じていたことでしょう。ヒトの脳には、そのような基本的な性質があるのかもしれません。しかし歳を重ねるにつれ、それは幻想に過ぎないことに気づいてきた(あるいはあなたが10代なら、これから気づく)はずです。

今となっては、現代に生きる人類は、自分たち自身どころか、自分たちの種全体にさえ「わからない」ことがあることを知っています。どんな人も、無限の知識を持つことはできないことも理解しています。世界からどんなに似ている二人を選び出しても、それこそ双子でも、まったく同じように成長することがないこともわかっています。

「わからない」は人それぞれ。賢明な人ほどよりたくさんの「わからない」に出会うもの。だからといってそれが、そうでない人の「わからない」よりも尊いわけでもありません。

あなたの「わからない」の答えは、思いもよらない人物の「わかる」にあったりします。

私たちにできることは、「わからない」と誠実に向き合い、そこから得た収穫を自分の中に蓄え、誰かの「わからない」を宝石に変える手伝いをすることだけです。

「わからない」ことが苦しいからこそ、私たちは成長することができます。でも、成長できたとしても、苦しいばかりでは疲れてしまいますね。

ときどき、「わからない」と感じられることの素晴らしさ、そういう時代に生まれた幸運のことも、見つめてあげてください。

それでは。

参考